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今年で創業120年を迎える菓子処きくや。
そんな節目を記念して
引退した三代目よりお菓子への想いや現役当時の様子などお話を伺いました。
(22/02記)
ーー 考案したお菓子の由来と歴史について
・飛形
TOBIKATA
茶の実とは別になにか柑橘類を使った商品を、と思い
みかんの皮を白餡に混ぜてつくりました。
初めは饅頭の皮にミルクも混ぜていましたが、
日持ちがせずやめました。
名前の由来は飛形山(八女市立花町に位置する山)から。
飛形山の特産がみかん。
上の刻印は飛形カラスをイメージしています。
当時は通常のものとピーナッツチョコ、二種類販売していた。それぞれ金紙と銀紙で包装していた
ーー その他特に印象に残っているお菓子はありますか。
引き菓子の生菓子の七寸角三ツ盛、八寸角の五ツ盛がよく出た。50箱、100箱と何件か重なったときはバタバタしたのを思い出します。
当時は洋菓子も作って、クリスマスケーキも人気でした。
ーー 四代目の生まれた頃のきくやの様子を教えてください。
店が忙しく、お盆・暮れ・卒業式のころは夜中二時三時までかかるのがざらだった。朝五時すぎにはお店に向かい、子どもをおんぶをして仕事をすることもあった。当時はカステラケースがあり、出来たてを切って販売していた。
お菓子の配達はタクシーで行っていた。
ーー 先代(二代目)はどのような方でしたか。
親父は菓子作りもしていたが、町の世話や出事(色々な役職)で忙しかった。人の世話を良くして、町内会長や町の役員など人脈が広くあり、夜中まで人を連れてくるためお袋が大変だった。
ーー これまでの経験の中で学んだ事はなんですか。
いい菓子を作るとは、良い材料を使う事が一番である。
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